善意の介護が「横領」になる日——後見人でなかった親族の末路
この記事でわかること
Q. 親族の面倒を見るために本人の貯金を使ったら横領になりますか?
Q. 善意で親族の財産を管理していた場合、どうすれば身を守れますか?
Q. 成年後見制度を申し立てるにはどうすればよいですか?
ある親族の善意
ある人が、障害を抱える叔父の家に住み込み、その面倒を見ていた。
親子ではない。法的な後見人でもない。その人自身も障害を抱えていた。だからこそ、同じように障害を持つ叔父を見過ごせなかったのかもしれない。他に引き受ける親族はいなかった。叔父を長年放置していた他の親族に代わって、日常の世話を一手に引き受けていた。
叔父の家は老朽化が進んでいた。二人で暮らし続けるにはリフォームが必要だった。叔父自身には判断能力に問題があり、自分で業者を手配したり契約を結んだりすることは難しい。
その人は、叔父の貯金を使ってリフォームを行った。叔父の家を、叔父の金で直した。叔父のための支出だ。善意以外の何ものでもない——少なくとも、本人はそう思っていた。
ところが、それまで叔父の面倒を見もしなかった他の親族が、これを問題視した。
「後見人でもないのに、勝手に叔父の貯金を使った。これは資産横領だ」
訴訟が起きた。
善意か横領か
この話の難しさは、客観的にはどちらとも取れることだ。
善意の見方:叔父の家に住み込んで面倒を見ていた人が、二人で暮らす家を直した。叔父のための支出であり、私的な流用ではない。他の親族が見向きもしなかった叔父を、この人だけが支えていた。
横領の見方:法的な権限なく他人の財産を処分した。叔父の家に住んでいたのだから、リフォームの恩恵は自分も受ける。金額が適正だったのか、第三者には検証できない。そもそも、叔父の家に住み込んでいたのは住居と財産へのアクセスを得るためではなかったか。
どちらが真実かは、当事者にしか分からない。あるいは、当事者ですら分からないかもしれない。善意と打算は、人の心の中で曖昧に混ざり合うものだ。
だが、法律はそのような曖昧さを許さない。
法律は「動機」を見ない
刑法上の横領罪は、他人の財物を自己の占有下に置いている者が、権限なくこれを処分することで成立する。
ポイントは「動機」ではなく「権限」だ。
いくら善意であっても、法的な権限がなければ横領とされるリスクがある。逆に言えば、後見人として正式に選任されていれば、同じ行為でも正当な財産管理として保護される。
この人が成年後見人であれば、リフォーム費用の支出は「被後見人のための必要な支出」として認められた可能性が高い。もちろん、後見人には裁判所への報告義務があり、不適切な支出があれば問題になるが、少なくとも「横領」と呼ばれることはなかった。
善意は、法的根拠がなければ守られない。
訴訟は決着を見なかった
この訴訟には、さらに痛ましい結末がある。
裁判が終わる前に、訴えられた本人ががんで亡くなった。まだ若かった。
善意だったのか、横領だったのか。その判断は永久に宙に浮いた。
法的には、被告の死亡により訴訟は終了する。だが、「横領で訴えられた人」という事実は残る。名誉が回復されることもない。自身も障害を抱えながら、誰も引き受けなかった叔父の面倒を見て、叔父の家を直して、横領で訴えられて、がんで死んだ。それがこの人の最後だった。
法律に疎かったことが悪いのか。制度を使わなかったことが悪いのか。それとも、他の親族の訴えが不当だったのか。
答えは出ない。
実は、周囲から「後見人の申立てをしたほうがいい」と助言されていたという。だが、彼女はそうしなかった。善意は通じるはずだ——そう信じていた。
障害を抱えて生きてきた人間が、社会の冷たさに何度もぶつかってきたであろうことは想像に難くない。制度や手続きが自分を守ってくれるという感覚を、持てなかったのかもしれない。善意だけが、自分にとって唯一の武器だったのかもしれない。
だが、現実は残酷だ。成年後見制度を使っていれば、この悲劇は起きなかった。
「家族だから大丈夫」の危うさ
日本には、家族の間で金銭の管理を「なんとなく」やる文化がある。
親の通帳を預かって生活費を管理する。高齢の親族に代わって役所の手続きをする。リフォームや入院の手配をする。これらの行為は、家族として当然のことだと思われている。
だが、法律上は「当然」ではない。
特に注意が必要なのは、以下のような関係だ。
- 親子以外の親族(甥姪、叔父叔母、いとこ)
- 義理の関係(義父母、義兄弟)
- 内縁関係
親子であれば、事実上の代理権が認められやすい場面が多い。だが、それ以外の親族関係では、法的な権限の根拠が極めて弱い。
叔父のリフォーム費用を負担した人は、「親子関係」も「後見関係」もなかった。日常的に面倒を見ていたという事実だけでは、法的な権限の根拠にならない。
善意であったとしても、だ。
他の親族はなぜ訴えたのか
この事例で見落としてはいけないのは、訴えた側の動機だ。
叔父の面倒を長年放置していた親族が、叔父の資産が減っていることに気づいて「横領だ」と声を上げた。叔父の生活には関心がなかったのに、叔父の金には関心があった——そう見えても不思議ではない。
だが、法的には「訴えた側の動機が不純だから訴訟が無効になる」とはならない。叔父を守るための正当な行為だったのかもしれないし、将来の相続分が減ることへの警戒だったのかもしれない。
ここでもまた、善意と打算の境界は曖昧だ。
だが、重要なのは動機ではなく構造だ。法的な権限が明確でない状態で他人の財産を管理すれば、どんな動機の人間からも攻撃される余地が生まれる。
後見人として選任されていれば、裁判所に報告した内容が正当であるかぎり、他の親族が異議を唱えても法的に守られる。「権限」とは、善意を守るための盾なのだ。
不動産が絡むとリスクは跳ね上がる
今回のケースはリフォーム費用だったが、不動産そのものが絡むと問題はさらに深刻になる。
たとえば、認知症の親名義の不動産を、同居している子供が「親のために」売却して施設入居費用に充てたとする。
後見人が選任されていなければ、この売却は無効になる可能性がある。認知症で意思能力がない人の法律行為は、原則として無効だからだ。
売却先の買主にも迷惑がかかる。登記が完了していても、後から「売主に意思能力がなかった」として契約が覆されるリスクがある。不動産取引において、売主の判断能力は極めて重要な確認事項だ。
認知症の親を不動産詐欺から守る方法でも述べたが、親の不動産を適切に管理するためには、元気なうちに法的な枠組みを整えておくことが不可欠だ。
備えとしての制度活用
「うちの家族は仲がいいから大丈夫」——この言葉を、何度聞いてきただろうか。
だが、仲が良くても、金が絡めば人は変わる。仲が良いからこそ、「なんとなく」で財産管理をしてしまう。そして、「なんとなく」が法的紛争に発展したとき、善意の人が一番損をする。
成年後見制度、家族信託、任意後見契約——これらの制度は、善意の行為を法的に守るための盾になる。各制度の詳細と使い分けについては、認知症の親を不動産詐欺から守る方法で解説している。
ここで強調したいのは一点だけだ。いずれも、本人の判断能力があるうちでなければ使えない。認知症になった後ではもう遅い。
善意を守るために
叔父の面倒を見ていたその人が、善意の人だったのか、そうでなかったのか。それは永久に分からない。
だが、もしその人が善意の人だったなら——法的な知識があれば、善意のまま報われた可能性がある。後見人として認められていれば、堂々とリフォーム費用を支出できた。訴えられることもなかった。
逆に、もしその人が善意でなかったなら——後見制度があれば、裁判所の監督のもとで不正は早期に発見された。叔父の資産は守られた。
どちらの場合でも、制度を使っていたほうが良い結果になった。
善意も悪意も、法的な枠組みの中で初めて正しく評価される。感情ではなく、制度で守る。それが、家族の中に潜むリスクに備える唯一の方法だ。
本記事は不動産仲介の現場での知見をもとに記述しています。個別の法律相談については、弁護士・司法書士などの専門家にご相談ください。不動産に関するご相談は、お問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の取引や投資判断に関する助言ではありません。具体的なご相談は、各分野の専門家にご依頼ください。


